郊外の新しい感情
都心のターミナルから1時間ほどで自宅にたどり着くが、その途中の大きな川を越えると空気は一変する。広大に広がる郊外の気配が一挙に押し寄せてく
るような気がするのだ。
田園でも都市でもない、いわゆる郊外はアメリカでは1950年代に明確化してゆくが、日本で郊外という言葉が頻繁に使われるようになったのは、四半
世紀後のことだろう。東京では1970年代から80年代にかけて多摩ニュータウンに代表される郊外の光景が圧倒的な勢いでひろがっていった。田畑や森林
の上に洪水のように襲いかかってゆく都市化の波、絶えず浸食が繰り返され、風景が次々と変わってゆく東京のマージナル・ゾーン、大都市の成長はその外周
部の絶え間のない拡大という形をとり、常に田園から都市への転換のただなかにあるリングの領域を持つことになる。この過渡的なゾーンがいわゆるスプロー
ルする都市の黒い影となるのだ。そして今日ではその黒い影の方に都市の実体が移動してしまったかのようにさえ思える。郊外こそが都市の中心となり、ドー
ナツ状の都市形成が生みだされる。
ハンフリー・カーバーや自然物がなんの脈絡も なく混じりあい、不協和音を奏でる無秩序な集合としての郊外、まるで砂浜に打ち上げられたガラクタの散乱のように雑多な諸要素がぶちまけられている。そ
のことの悲哀が郊外にはある。二つめは画一性の悲哀、型にはまった規格住宅が立ち並ぶ住宅街や巨大なマンション群、同じような日常感や価値観が育まれて
ゆく。生活の単調さと繰り返しにより我々の内部もまた均質化されてゆく。そのことの悲哀さが郊外にはある。さらに三つめは不在の悲哀、何かが欠けている
という感覚、ぽっかりと空いた欠落感が始終つきまとう。うまく言いたいのだか、何もない、とか空っぽであるといった気配が土地にしみ込んでいるかのよう
に思える。そのことの悲哀が郊外にはある。
しかし、今やこうした郊外の悲哀も日常に深く浸透し、もはや人々には悲哀と感じとれなくなっているのではないだろうか。いや悲哀というより人々はそ
こに不思議な愛着や親密ささえ感じ始めている。
田中昭史が自分の住む多摩地区を中心にここ15年あまりに渡って撮影し続けている「多摩景」のシリーズは、そうした特殊な郊外の空気を身体化し、
親密化してゆくなだらかなプロセスが秘められているかのようだ。
むきだしの自然の残る造成地、打ちっぱなしのゴルフ場、未入居の建売住宅、がらんとした野球場、高速道路、焼却場、休日の住宅展示場、広場、河川や
堰堤、夕刻のバス停、人気のない昼の駅前……。田中の写真には、郊外の悲哀をのりこえた土地への慈しみのような感情が淡々と写しとめられている。どこか
しら空っぽで、もの悲しく、曖昧ではかない感覚が明滅する記憶のように綴られる。その特別の時間の流れを見つめる眼差しは、今や多くの東京人が共有する
新しい感情になってしまったといってもいいかもしれない。
写真史家・東京芸術大学教授 伊藤俊治
(写真集「多摩景」あとがきより)