人と自然の関係の隠喩と矛盾論−張志輝の「胸無成竹」に関して
「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」 老子・道徳経
「生き生きとして自然の中に現たものは、総体とは無関係である。もし経験がただ私達に向かって孤立して現れたとしたら、もし私達が試みに孤立の事実を作らなければならないとしたら、これは意味のない経験と試みこそが孤立である。」 ゲーテ
「人は身を認識と仕事の主体とするだけでなく、自然と対立し、尚且つ認識と仕事の主体と自然は一つの歴史の中に置かれている。彼は自然を抱き、自然を享受し、彼の中も自然そのものと同じである。・・・・・主体化した人間と客観的な自然の間の主客関係は彼らの弁証関係の中に意識される。」 モルトマン
写真技術の発明は、これまで光学技術と化学を使って自然の影像を記録する力の発見と見なされていた。
初期、写真が「光画」と呼ばれるのに対して、カメラは「自然の絵筆」と呼ばれていた。
早くからある文字や絵画先に発展したので、当然手書きであることが芸術様式の一つであると受け止められていた。
だが、写真は自然から得たものであり、それは野外での狩猟や標本つくりと同じようなもの。
写真を撮るというのは機械の簡単な操作と偶然性の産物であり、良く言っても写真愛好家に毛の生えたくらいで、芸術性の高い活動とは認められなかった。
彼らの作品が「自然の絵筆」を借りて記録しただけの所謂スナップショットではないことを証明するべく、憤りを隠せない写真家は他の芸術様式の思考や表現方法を借りて自分の作品のポイントをアピールする事によって、人々の注目を集め、一枚の写真の奥底にある創作意図への理解を求めた。
百年以上が経って、以前差別視していた人々も、厳粛な作品については認め、芸術の殿堂入りとなっている。
けれども、次第に本質的なものが変化し、作者の意図を尊重する画面となっている。
特にデジタルが急激に発展した今日、写真の本質は元々「物事そのものが現れたもの」と「人が気づいたもの」が一致し呼応して構成されたものであったが、本質が少しずつ変わっていく運命は免れえなかった。
しかし、この貴重な本質が風景写真家張志輝の作品の中では健在であった。
仮に我々が絵画的な例え:構図・造形・光線・階調・規則・比例・細部・・・更に暗室テクニックといった方面だけ、或いはただ単に、写真家個人の主観を表現したいだけだという見方をすると、張志輝の最近の作品は恐らく誤解を招くであろう。
私の良く知るこの風景写真を20年以上変わることなく浸っている繊細な観察者は、むしろ何か魅惑的な力が彼の魂を虜にし、彼を悟らせたのだと信じる。
張志輝がこだわって撮影した多くの作品をみれば、私の見方が正しいと証明するに足りるであろう。
もちろん、台湾だけでなく世界中では、風景の魅力に惹きつけられた写真家が後を絶たない。
彼らは、いつも浮き草のように20〜30キロもの貴重な機材を担いで、ジープで山や海を駆け巡る。
それはまるで嘗ての貴族達が狩りする儀式の行進のようだ。
彼らの「武器」扱いの熟練さや「弾薬」の惜しみない消耗という努力に、大自然はいつも答えてくれる。
人々は、一般的な写真雑誌や報道、写真サロン(ギャラリー)で、いつもこれら戦利品を見ることができる。
その整った構図、豊かな色彩、鋭い解像力、そして絶妙なシャッターチャンスによる美しく構成された影像は「彼らはどうやってこんなに美しい場所を見つけたのだろう?」と、また在る者には「どうすれば、こんなにも美しい写真が撮れるのだろう?」と見る者の好奇心をかきたてる。ただ惜しいことに、そこまで止まりなのだろうが。
故に、自然風景をテーマにした写真は、いつも他のジャンル(報道写真・ドキュメンタリー・純芸術写真・生態写真サークル等)から軽蔑されてきた。
著名な写真家アンセル・アダムス、エドワード・ウェストンなどでさえ「彼はただ偉大なる風景に前に立ち止まっただけ・・・」、「ただフィルムのサイズが大きいだけではないか!」という評価だった。
これらは当然、ばかばかしい論調にすぎない。
たとえそれら貧しい風景写真ファン、或いは勉強不足の軽蔑者でも、静寂なる大自然に向き合った時、全ての人類は皆一様に、うかつさ・傲慢さ・尊大さ・愚昧さ・偏狭さを露わにしてしまう。前者は、自然はただの己の嗜好の満足や娯楽、覗き見趣味、消費快楽を満たす猟場としか思わない。
後者は、人類の自己独立の歴史を見失い、文化と暗愚な人間性のしがらみの中、自己中心的な妄想が政治経済や社会活動、科学技術のコントロール、芸術的表現ひいては詩の言葉などを通して、益々危なくなる人類の命運と人間性を救おうとしている。長い間人類に客体として観察、利用、破壊され、外部に排除されてきた自然は、人類全体の命運そして個々の魂と分かつことの出来ない神秘的な繋がりがあるということに今だ気がついていない。
これこそ正に張志輝の最近のシリーズ作品「胸無成竹」で暗示していることである。
即ち、彼の作品には人と自然の関係の隠喩と矛盾に関わる事が隠れているのだ。
鑑賞者を導く先は、自然と人類のグループの間、自然と個々の魂の間、単一種とその他の種ひいては万物の間、物質と心霊の間、誕生と滅亡、有と無、実と虚、光と闇、明晰と曖昧、静と動である。
主体と客体は一瞬と永遠の間で互いに弁証法的関係の中、互いの一体性を通して感じ、その一切の神秘全てを包容する。
そして、私達に主体の理性を手放すよう暗示し、人の自我意識を抑制したり無理強いしたりせず、悟りの中から自己制限と謙虚な態度で、万物と共に生きる生命の道を得るのだ。
馮君藍 基督教士会幕堂にて
翻訳:China Communication Academy
□張志輝(Chang Chui−huei)プロフィール
1965年 |
台湾彰化市の農村・快官壮で生まれる |
1982年 |
省立彰化工業高校の時、写真と白黒暗室に出会う。すぐに熱中する。 |
1986年 |
勤益技術学院卒業。 |
1990年 |
退役後、台湾リコー技術部門に入社。
写真観念と技術不足を感じ、その年に有名な阮義忠氏の門下になり、現代写真と高級白黒暗室技法を学び、非常に啓発され影響を受ける。
以後、蒋戴栄先生に従ってアンセル・アダムスのゾーンシステムを研究、師承する。 |
1994年 |
友人と共同で始めた「阿爾撮影芸廊」を終了し、阮義忠先生の創設した 写真家雑誌に付随している専門プリント部主任になる。
同時に、図騰撮影教室が開設しているモノクロ写真と暗室課程の講師に就任。 |
1997年 |
恩師阮義忠先生の推薦で、台中市が設立した「アダムスPHOT LAB」の高級モノクロ写真印刷及び専門表装サービス社長に就任。
並びに「アンセル・アダムスのゾーンシステム――モノクロ写真と暗室」課程の教授に就任。
同時に、台中県公民大学写真課程講師と国立彰化師範大学、静宜大学写真部顧問を兼任。 |
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出版 |
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1998年 |
張志輝写真集−霊・静山水(撮影家出版社) |
2004年 |
張志輝写真集−胸無成竹(撮影家出版社) |
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個展 |
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1999年 |
台北爵士撮影芸廊 張志輝写真展/霊・静山水 |
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台北北美国文化中心 張志輝写真展/霊・静山水 |
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台中金禧美術 張志輝写真展/一種風格 |
2000年 |
台中臻品芸術中心 張志輝写真展/無私的風景 |
2001年 |
台中金禧美術 張志輝写真展/光的繆思 |
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台中爵士撮影芸廊 張志輝写真展/光的繆思 |
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台中県五金行芸術空間 張志輝写真展/光的繆思 |
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台北国際画廊博覧会 張志輝写真展(新苑芸術) |
2004年 |
台北爵士撮影芸廊 張志輝写真展/胸無成竹 |
2006年 |
HANARE 張志輝写真展/胸無成竹(兵庫・川西) |
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