金村修写真展「Voodoo Doughnut」

©︎ Osamu Kanemura

展覧会概要

タイトル:「Voodoo Doughnut」

作家名:金村 修

会期

2019年11月8日(金)〜11月19日(火)

休廊日

11月13日(水)、14日(木)

*11月9日(土)はポートフォリオレビュー開催のため、レビュー参加者、見学者以外の方は入廊いただけません。

開廊時間

13:00〜19:00

企画

gallery 176

概要

 gallery 176では、11月8日(金)から19日(火)まで、金村修さんのポートランドとニューヨークでの撮り下ろし約200点の写真と映像を展示します。金村さんの最新の写真と映像が創り出す空間を、ギャラリーで体感していただけたら光栄です。

 誰もが忙しいこの時代に、今一度立ち止まって、金村さんの言葉の意味を考えて欲しいと思います。この展示を大阪で開催し、それを観ることは、日々作品を創り続ける関西の作家や写真に関わる人達にとって、とても意味のあることだと思います。

作品説明

10年ぐらい前のアサヒカメラに、ある台湾の写真キュレーターが、『来るべき言葉のために』の頃の中平卓馬の写真と、森山大道の写真の区別がつかないと笑いながら語っている記事があった。ハイコントラストでブレボケの白黒写真という共通の方法論で撮られたこの当時の二人の写真を見ると、このキュレーターの言っているように、確かにどっちがどっちの写真なのかは分かりづらいし、そもそもは写真で個性が表現できるものなのだろうか。例えばストリート・スナップという括りで、様々な写真家の写真が大量に展示されているのを見たら、どれがどの写真家の写真なのか分からなくなって、最終的にはどれもみんな同じような写真に見えてくるだろうし、森山大道の写真とそのエピゴーネンの区別をつけられるだろうか。エピゴーネンの方が本家よりも上手かったりするので、そこに差異を見出すのはとても難しい。写真は大量生産された工業製品を前提にして作られたものであり、無個性で、区別のつきにくい似たり寄ったりのものしか作れないことをむしろ肯定するメディアだった。“あなたも今日から写真家!”、“誰でも良い写真が撮れる!”という新しいカメラが出る度に示されるカメラ会社の宣伝コピーが如実に表しているように、そのカメラを購入すれば誰でも写真家になれるになら、突出した個性は必要とされないだろうし、誰でも良い写真を撮れるということは、みんなと同じ写真しか撮れないことを意味している。写真は無個性で似たり寄ったりのものしか作れないということをカメラ会社が自社の宣伝コピーで既に語っているのだ。無個性なものしか撮れないカメラを写真家は使っているのだから、写真家の固有名が恩寵のごとく写真に刻印されることほど変はないだろう。固有名詞と対立するのが写真であり、写真はむしろ固有名詞の破壊者であって、複製芸術としての写真はだから、被写体から固有名詞の持つアウラを徹底的に廃棄する。例えば再撮影を例にとると、カメラで再撮影された絵画を見れば分かるように、それはオリジナルの絵画が持っていたアウラを喪失させ、無残で薄っぺらな印画紙にしか見えないように、かつての芸術的アウラを成立させていた“今”、“ここ”という場所と時の一致と一回性を複製芸術は無効にさせる。唯一としての芸術を複製可能なものに変容させることで、その唯一性を複数化すること。複製とはオリジナルの存在からアウラを奪い取る作業であり、複製をその特徴とする写真は、固有名詞が持つアウラを複製化することで徹底的に破壊するだろう。

ポートレート写真の破壊性は、写真が持つその非アウラ的性格を非常によく現している。固有名詞を持った人物が写真に撮られると、その人物の固有名詞性が剥ぎ取られ、二次元ののっぺりとした印画紙としての物質に変容させられる。魂を抜かれたポートレート写真は、その人だけが持っていた固有名詞性を喪失させ、その人そっくりの人が映っている薄っぺらな印画紙でしかなくなるだろう。固有名詞的な要素を徹底的に排除するのが写真であり、対象とそっくりに似ているものを生み出すことができる写真は、現実の人物が持っていた自己同一性を廃棄させる。「背後のないことそのもののあらわれ、軽薄なまでに表面的であることの権利」(宮川淳)。ポートレート写真には、現実の人物の同一性が映っているわけではない。それはただその人に似ているだけで、他には何も映っていない。写真は表面しか写すことができないので、その背後を写すことができないのだ。ポートレート写真のわたしは、わたしにそっくり似ているけれど、本当のわたしではないという現実のわたしとのズレを生み出し、そのズレを拡大することが写真なのではないかと思う。そのズレは本人という自己同一性の領域に回収されるのではなく、どこまでもその領域からズレることなのだ。固有名詞が持っている自己同一性を写真は廃棄するのであり、現実の対象とそっくり同じものでしかない写真には、そのような自己同一性が存在しない。写真はだからみんな同じように見えるだろう。他との差異化を図るために必要とされる個性=自分らしさを成立させるには、自己同一性が必要とされる。けれど写真の自己同一性は、写された対象に存在するので、写真はただそれに似ているだけで、自己を成立させるための同一性を対象に預けている写真には、個性を表出することができない。写真は対象にそっくりなだけで、独自の個性を持つことができないのだ。

現実の対象にそっくりなものが、いまでは現実を凌駕している。観光地の風景を見たときに、まるで写真そっくりだという感想が多いのは、観光地の写真が現実の観光地の風景を乗っ取ってしまったことの証拠であり、散々写真に撮られ、あらゆる場所にそれらの写真が流通させられたことで現実の観光地の風景は、この風景は写真にそっくりだと人々に言われるようになり、現実にそっくりな写真に現実が取って代わられた。それは現実にそっくりなだけで“軽薄なまでに表面的”なものが、現実に取って代わったのだ。68年フランス革命のスローガンだった「想像力が権力を奪う」の“想像力”が、イメージするという意味なら、イメージには必ず現実とのズレが発生する。何かをイメージすることは、何かを正しく再現することではなく、何かからズレてしまうことがイメージすることの本質ではないだろうか。写真のイメージは、被写体そっくりでありながらもそれはただ似ているだけで被写体そのものではない。むしろよく似ているけれど本物ではないということで、写真は被写体からズレつづけるだろう。「想像力が権力を奪う」とは、ドッペルゲンガーが権力を握ることであり、自己同一性を欠いたものが権力を握ることなのだ。それがそれであることの根拠を解体すること。根拠を解体された写真は、他の写真との差異を見出すことができない。差異は、それらのものがそれぞれに違う自己同一性を持つことが前提とされるのだから、同一性を廃棄された写真は全て同じに見えるだろう。

偽札が重罪として国家権力から認定されるのは、貨幣の自己同一性を揺がすことで、貨幣の信用が損なわれるからであり、それが重罪なのは貨幣の同一性が危機に晒されることに対する危機感の表れだ。真似のできない唯一ものと思われていた貨幣が、無限に複製できるのなら貨幣の同一性は維持できなくなる。偽札の流通によって貨幣の根拠が危機に晒さらされるとき、貨幣は単なる紙でしかなくなり、紙でしかない貨幣に対して、あらゆるものと交換できる交換価値を与えた国家の虚構性もまた暴露されるだろう。似ているものは、似ているその対象の同一性を解体するのであり、それは寄生している対象に向けて攻撃を仕掛ける癌のようだ。偽札は本当の貨幣が持つオリジナル性を揺がし、わたしだけが本物なのだというオリジナル性を解体することで、貨幣の根拠の無さを暴露するだろう。他の使用価値を持った商品と違って使用価値を持っていない貨幣は、あらゆるものと交換できるという交換価値しか持つことができない。貨幣には本来根拠が存在しないのであり、それ自身によって価値を決定することができず、貨幣の価値は常に外側から与えられる。貨幣の存在価値は、己が持っている使用価値ではなく、国家という貨幣の外部が介入することによって、これはあらゆるものと交換可能な商品であるという交換価値を刻印され生み出されたものだ。偽札は貨幣の持つ国家によって刻印された同一性を破壊するだろう。偽札の流通はそのような価値を付与する国家の同一性もまた根拠がないのではないかという疑問を突きつけるだろう。

芸術のアウラを廃棄させたと言われた写真は、けれど本当にアウラを廃棄することができたのだろうか。複製された対象は、複製されたということで、それは過去の存在であったことが立証される。起源は反復されたことで、それが起源だと認識されるように、複製されたことでその過去はもう二度と戻ることのない過去だと認識されることができる。一回性としてのアウラは、それが複製されて繰り返されたことで現れるのではないだろうか。起源がそうであるように、一回性はそれが二回繰り返されたことで現れるものであるなら、アウラはそれが消えてもう無いという消滅したことで現れるものであり、写真はだから消滅させたことでアウラを獲得するのだ。それは既に無いということで現れる写真のアウラは、消失点を自らの中に抱え込むことで成立する。国家が消滅することで共産主義社会が成立すると説いたレーニンの『国家と革命』は、国家の消滅のためには、強力なプロレタリア独裁に基づいたプロレタリアの国家が必要だと語っている。レーニンの語るプロレタリア独裁と国家が、それらを最終的には消滅させるという消失点を最初から抱え込むことで成立している独裁と国家であるなら、写真もまたレーニンの言う独裁と国家のようにアウラを消滅させることでアウラを表出させるだろう。今写ったこの瞬間に存在していたものは、もう存在しない。被写体という現実の存在を消滅させることで写真は成り立つ。現実を消滅させることが写真の役割であり、「想像力が権力を奪う」ように、現実に代わって写真が権力を奪う。

展示構成

六つ切 約200枚、映像作品上映(予定)

 

会期中の作家在廊予定

作家金村さんは、11月8日(金)のトークイベント、9日(土)のポートフォリオレビューのみ在廊予定です。在廊予定に変更がある場合は、Facebook、Twitterでお知らせします。

11月8日(金)の開廊時間について

11月8日(金)はトークイベント開催のため、17:00以降はイベント参加者以外の方は入廊することが出来ません。大変申し訳ございませんが、作品を鑑賞される場合は、17:00までにお越しください。

*当日は、17:00に一旦ギャラリーをクローズし、17:20からトークイベントの受付・入場を開始します。

11月9日(土)の開廊について

11月9日(土)はポートフォートフォリオ開催のため、レビュー参加者、見学者以外の方は入廊いただけません。ご了承ください。

*当日は、13:50からレビュー参加者、見学者の受付・入場を開始します。

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台湾報告会(仮)

TAIWAN PHOTO 2019 搬入〜展示風景

展覧会概要

タイトル:台湾報告会(仮)

出展作家(予定)

外部作家:鈴木郁子、オノナホヨ
gallery 176 運営メンバー:友長勇介、松原豊、西川善康、早川知芳

会期

2019年11月22日(金)〜11月24日(日)
*通常とは会期が異なり、3日間のみの開催です

休廊日

無休

開廊時間

13:00〜19:00

企画

gallery 176

開催概要

 gallery 176は、2017年から台湾最大のフォトフェア TAIWAN PHOTO に3年連続で参加しており、今年2019年は、台北の写真専門ギャラリー 1839當代藝廊と交流展を開催し、1839當代藝廊でもグループ展を開催しました。今後も、gallery 176では、台湾の他のギャラリー等と交流展を計画しており、台湾との交流を続けていく予定です。

 今回は、10月に参加したTAIWAN PHOTO 2019の出展作品の一部、参加者が台湾滞在中に撮影した写真・映像作品の展示・上映を予定しています。また、TAIWAN PHOTO会場の様子、台湾の写真関連の施設(ギャラリー、書店等)の紹介等も予定しています。

*詳細が決まりましたら、こちらに情報を追記予定です。

≫ TAIWAN PHOTO 2019

プレスリリース

淵上裕太写真展「上野」

© fuchikami yuta

展覧会概要

TOTEM POLE PHOTO GALLERY × gallery 176交流展

タイトル:「上野」

作家名:淵上 裕太

会期

2019年12月6日(金)〜12月17日(火)

休廊日

12月11日(水)、12日(木)

開廊時間

13:00〜19:00

企画

gallery 176 松原豊

概要

 TOTEM POLE PHOTO GALLERY × gallery 176交流展企画第⼆弾として、TOTEM POLE PHOTO GALLERY運営メンバー淵上裕太さんをお招きして写真展を開催します。来年7⽉にはgallery 176運営メンバー松原豊がTOTEM POLE PHOTO GALLERYで展⽰を予定しています。

 淵上さんは、松原が⾮常勤講師を務めている専⾨学校名古屋ビジュアルアーツの教え⼦になります。在学時から⼈物、特に「なかなか声をかけづらいのではないか?」と思われる⼈達に実直に向き合いながら撮影を進めること、⾃分でプリント制作することにこだわっていて、卒業後もその⽅法を変えずに作品制作を続けている教え⼦の中では数少ない写真家だと認識しています。

 今回、卒業後東京に就職してから撮影をはじめた上野公園で撮影された⼈物たちの写真シリーズを、関⻄初の写真展としてgallery 176で開催致します。⽇常あまり⽬を向けない⼈たちに声をかけながら向けた淵上さんの視線。その視線から⽣み出される⽩⿊写真の中にある「ひとりひとりの個人」という存在感を展⽰会場で確かめていただければ幸いです。

gallery176 松原豊

作品説明

ほかの人間が存在し

僕以外の人間がRPGのキャラクターでも通りすがりの影でもない。

一人の人間として存在していることを強制的に本能に訴えかけてきた。

僕は、世界に一人しか存在しないのではないか?

確かめるため、

息をするために

人と関わり撮影をしてきた。

上野は、人が人として存在している。

安らかな気持ちを与えてくれる。

夕陽に照らされた池の蓮

風に揺れる一枚の花弁

ゆっくり時を刻むごとに水面の輝きを纏っていく

人々もまた変わっていく

いまこの瞬間の『上野』が必要だった

お手製の帽子を被ったおじさん

毎月、10年間上野公園の同じ木を写真に撮りに来る新潟の人

大雪の中、誰もいない公園で『もう少し待ってみる』と笑顔で話す立ちんぼのお姉さん

同じ時を刻む人々の姿

僕は、今東京にいる。

僕たちは今を生きている

 

会期中の作家在廊予定

作家淵上さんは12月6日(金)、7日(土)、14日(土)〜17日(火)に在廊予定です。在廊予定に変更がある場合は、facebook、twitterでお知らせします。

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Doris Hsu 写真展「凝視 Gazing – You lead me to see the light」

© Doris Hsu

≫ 繁體中文English

展覧会概要

展覧会名:「凝視 Gazing – You lead me to see the light」

作家名:Doris Hsu

会場

gallery 176(ギャラリー イナロク)

大阪府豊中市服部元町1-6-1/阪急宝塚線 服部天神駅(梅田から11分)下車 徒歩1分

会期

2020年1月13日(月・祝)〜1月26日(日) *会期初日と最終日の曜日が通常と異なります

休廊日

1月20日(月)〜23日(木) *休廊日が通常と異なります

開廊時間

13:00〜19:00

企画

gallery 176 西川善康

展覧会紹介

 2017年のTAIWAN PHOTO参加がきっかけで、毎年台湾に通うようになりました。台湾南部の都市・高雄(Kaohsiung)には、昨年のKAOHSIUNG PHOTO(高雄攝影節)の会場訪問時に、初めて訪れました。高雄市は台湾第三の都市で、人口が約280万人と、大阪市とほぼ同じ人口です。高雄市は台北市より南に位置し、最初に訪れた10月でもかなり暑く、港町ということもあって、どことなく「ゆるい」雰囲気で、とても居心地の良い街です。台北が日本の東京、フィリピンのマニラとしたら、高雄は日本の大阪、フィリピンのダバオといった感じでしょうか。

 台湾に通うようになり、同時に台湾の音楽を良く聴くようになりました。最近は、Apple Musicなどの定額制音楽配信サービスで、気軽に台湾のバンドやアーティストの音楽を聴くことができるようになり、そこで「Elephant Gym 大象體操」の音楽に出会いました。彼らは、ギター、ベース、ドラムの三人組で、インストルメンタルの曲が多く、一部ボーカルが入っている曲もあり、他の台湾のバンドとは一線を画す存在です。彼らは高雄出身で台北で活動していましたが、現在は地元の高雄を拠点として、台湾のみならず、日本などのアジア、そして欧米でも多数のライブを行っています。この点では、大阪からアジア、世界へと活動の場を広げようとしている gallery 176 に通ずるものがあります。

 今年 2019年10月、TAIWAN PHOTO参加後、大学やギャラリーを訪問するために高雄を訪れた際、今回の作家 Doris Hsu さんに偶然に出会いました。場所は、港の旧倉庫街をリノベーションした複合アートスペース「駁二藝術特區(The Pier-2 Art Center)」です。ここは、昨年 2018年のKAOHSIUNG PHOTOの会場で、日々多数のアートイベントや映画祭が開催されており、多くの観光客が訪れる場所です。この一角に、「典像濕版攝影工藝(Vintage Wet Plate Collodion Studio)」という湿板写真のスタジオがあり、6月にも訪れていました。今回は、Elephant Gym のTシャツを着てスタジオに入ったところ、そこに彼女 Dorisさんがいて、「なんでそのTシャツを着ているの?私、そのバンドと友達で写真を撮っているんだよ」と話しかけられびっくり。その後、メッセージのやり取りで、Elephant Gymが来年2020年1月に大阪でライブをやるということを知り、思わず、「その時期に、大阪で写真展をやらない?」とメッセージを送りました。そして、翌日再び彼女と会い、写真やミニ写真集を観て、具体的な写真展開催までの話を始めました。

 その後、メッセージのやり取りを進めて行く中で、私がフォローしていたElephant Gymの写真をアップしているFacebookページが、彼女のページだということを知ったり、彼女がモノクロフィルムを愛用して自分で暗室でプリントをしていたり、彼女やバンドのメンバーが自分の半分以下の年齢と言うことを知ったりと、驚きの連続でした。

 今回の写真展は、そんな偶然が重なって開催することになりました。作家のDorisさんは、搬入前日に来日し、会期途中まで在廊の予定です。ぜひ、彼女に会い、台湾の写真の話や、高雄の話、Elephant Gymの曲やバンドメンバーの話をしに来て下さい。会場では、彼らの音楽を流してお待ちしています。

gallery176 西川善康

*今回の写真展は、Elephant Gym オフィシャルの写真展ではありません。

作品説明

彼らの音楽で満たされ、そこに光を見つけました。

良いライブとはどんなものだろうか?
人を楽しませることができたら、それは良いライブになると思います。

私は人が自分のベストをつくして楽しんでいるのを見るのが大好きです。
それは人間にとって最高の瞬間だからです。

私にとって、写真はとても重要なものです。
そして音楽も同じように。
だから、私は自分自身で写真と音楽を共に楽しんでいます。

Elephant Gymとの出会い

約5年間、台湾のインディーズ音楽をたくさん写真に撮ってきました。2016年、台南で聴いた彼らの「WORK コンサートツアー」のライブで、マス・ロックというジャンルの音楽を初めて知りました。

私は彼らの音楽にとても感銘を受けました。彼らの曲を聴くたび、私は飛び跳ねていました。そして、その時のライブで、彼らの音楽に完全に惹かれました。

その時から今まで、私は彼らの写真を撮り続けています。

フィルムで写真を撮る理由

私は、60年代から80年代までの音楽映画が大好きです。これらの映画は、初期のバンドの躍動感に満ちた映像を観せてくれます。フィルムで写した写真は、それほど鮮明ではなく、ぼやけているものもありますが、かつての音楽映画の様に、そこからは勢いが感じられます。

なんて素晴らしい!

そして、私はフィルムカメラで撮影し、暗室でそれらを現像、プリントすることを学び始めました。

この展覧会について

私と彼らのバンドは一緒に成長しています。私は、今までもコンサートでわくわくしながら撮影しています!

この展覧会では、2016年から2019年にかけて台湾で撮影した彼らのライブ写真(デジタルカメラとフィルムカメラで撮影)を展示します。また、彼らのライブ以外の日常の様子の写真も展示します。彼らの日常を垣間見ることができると思います。

今回の展示は、私の海外での初めての展覧会です。私の作品からなんらかのパワーを感じていただけたらうれしいです。
ぜひ、この展覧会を楽しんでください。

Doris Hsu

展示構成

ゼラチンシルバープリント、タイプCプリント(サイズ、枚数未定)

 

会期中の作家在廊予定

作家Dorisさんは1月13日(月・祝)〜15日(水)に在廊予定です。在廊予定に変更がある場合は、facebook、twitterでお知らせします。

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