市川信也写真展「De Los Caminos En La Habana −ハバナの街角より−」
展覧会概要
タイトル:「De Los Caminos En La Habana −ハバナの街角より−」
作家名:市川 信也
会期
2019年9月13日(金)〜9月24日(火)
休廊日
9月18日(水)、19日(木)
開廊時間
13:00〜19:00
企画
gallery 176 早川知芳
作品説明
2016年4月下旬の数日間をキューバの首都であるハバナで過ごす機会を得た。その時の本来の目的地は南米のエクアドルであったが、カリブ海の向こうにある島国を是非一度訪れようと考えたのだ。その年の前月にアメリカのオバマ大統領がハバナを訪問し、ラウル・カストロ国家評議会議長と会談、両国の間で歴史的な和解が行われた。
キューバは16世紀初頭にスペインにより植民地化され、砂糖や葉巻などのプランテンショーンが発達した。しかし19世紀末にはスペインは没落し、変わって影響力を持ち始めたのが百数十キロ北に位置するアメリカ合衆国であった。20世紀初頭には共和国として独立したが実質はアメリカの保護国であった。アメリカの資本が大量に流入し国民生活を支配し、それに抗する反乱や政変が相次ぎ不安定な状況が続いていた。しかし1940年代後半より国際連合や米州機構に参加し、国際的な地位も安定してきた。一方国内は、砂糖の国際価格の不安定が続いたが政府が有効な対策を取ることができないため、社会不安をきたしていた。1952年にクーデタにより政権を奪取したバチスタは、憲法を停止し独裁政治を行った。腐敗と弾圧が続いた独裁政権とアメリカは政治的、経済的に深く繋がりその支配力を強めていった。1950年代にはその独裁体制に反対する運動が起こり、幾多の闘争を経て山岳ゲリラ戦を戦ったフィデル・カストロやチェ・ゲバラなどが1959年1月バチスタ政権を倒し革命政権を樹立した。彼らは土地と産業を国有化し、アメリカの影響を徹底的に排除しソビエト連邦に接近した。1961年アメリカはキューバと国交を断絶し緊張を伴う対立が続いた。1991年のソビエト連邦崩壊後、深刻な打撃を受けたため、観光を振興させ一部に民営化を受け入れ再興を図ったが、共産党による一党独裁体制は維持された。2000年代に入りアメリカ人の渡航が解禁されるなど両国関係は改善に向かい、2015年には54年振りに国交が回復、2016年3月、ついにオバマ大統領がハバナを訪れたのだ。私がハバナを訪れたのは、まさにその1ヶ月後、ロシアや中国といったかつての社会主義の大国とは違う道を辿ってきたカリブの小国が、長年の敵国であったアメリカと仲直りをしてどのようになっているのか大変興味を惹かれたのだ。
それ以前のキューバを知らないので比較して語ることもできない。滞在期間はわずか数日なので、その生活に深く分け入ったわけでもない。私がそこで見て感じた事は、ツーリストとして表層的なものに留まり、キューバの人々の生活の実態に迫るものではないだろう。私の目に留まったのは、この国のアイコンとでも言うべき1950年代のアメリカ車や道端で遊び学ぶ子供達。観光客用にレストアされた古い車もある一方で、市民が日常の足として使っているものも多い。道端の子供達の身なりは決していいものではないが、彼らの顔は屈託ない笑顔で溢れている。植民地時代からのヨーロッパ様式の古い建築に古いアメ車、これらはこの街の象徴であり、ついついカメラを向けたくなる。それらの写真がステレオタイプな観光写真だとしても、そこには、その時そこにしかない空気とでも言うべき何ものかが写されていて、アメリカという大国との関係性さえも、ラテン気質の陽気な人々の生活や街の風景の中に立ち現れているだろう。
トランプ政権になり両国の関係は後退しているかに見える。しかしそこには変わらぬ彼らの生活が続いている筈である。私が写した2106年4月のハバナのこれらの写真の中には、苦難の歴史と共に歩んできたこの国の人々の、変わることのない気質がその歴史的な風景と共にある。
展示構成
モノクロームゼラチンシルバープリント
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会期中の作家在廊予定
作家市川さんの在廊予定は未定です。決まり次第、Facebook、Twitterでお知らせします。